推しとは一体なんだろうか。
「先輩は私の推しなんです!」
職場の後輩である彼女は屈託なくそう言ってくる。
「そういうのって、アイドルとか芸能人に対してじゃないのか……?そもそも君は結婚もしてるし」
「いや"推し"はそういうの関係なく、"自分の推したい人"なんですよ」
まあ確かに、応援したい人や憧れの人ってのは"自分が勝手に好きになった人"という印象だから、関係ないのかもなとも思う。
自分が"推している人"はいるだろうか、と考えた時に、真っ先に浮かぶ人がいる。
のん(能年玲奈)さんだ。
彼女は僕と同い年で、1993年7月13日生まれ、兵庫県の出身である。
自分でもマジかよと思うけれど、かれこれ12年くらいは推している事になる。僕の人生には欠かせない人だ。
今から12年前の冬、僕は17歳のどこにでもいる高校2年生だった。
僕の住む新潟は、冬はずっしりと重い雪が降る。しんしんと高く積もる雪の中、僕は部活を終え、陸上部のウィンドブレーカーを着て、バスを待っていた。
都会のバスが何本走ってるかとかはよく分からないけれど、新潟の片田舎ともなればバスは1時間に1本ほどだ。しかも学校から1番近いバス停から帰るとなると、周辺には何も無いしやることもなく、とにかく待つしかない。
ウィンドブレーカーでは凌げないような寒さの中、自分の吐く息だけが白く、暖かかった。
待ってる間、とりあえずガラケーでネットニュースを眺めた。
そのネットニュースの中に、のんさんのインタビュー記事が紛れていた。これから女優としても活躍していきたい、というような内容だったはずだ。
その時の写真がこれだったことも覚えている。
僕と同い年の有名人なんて、神木隆之介さんや、志田未来さんみたいな子役を始め、渡辺麻友さんとか、アイドルもまあまあ出現していた。
今では、福士蒼汰さん、はじめしゃちょーさん、武井咲さん、フワちゃん、新川優愛さん、吉田正尚さん等、93年生まれが多岐にわたって活躍している。
しかしこの時、自分と同い年で「17歳で、これからデカい夢に挑戦するぞ!!」みたいな事を言う人を一度も見た事がなく、何だか凄くのんさんが輝いて見えた。まあ既にモデルとして活躍はしていたみたいだけど。
僕はというと本当にありふれた、ただただ普通に高校そして大学に進学するコースを歩んでいた。
僕とは全く違う分野に挑戦しようとしている、今日初めて知った同い年の彼女が、これからどんな風になっていくのか。
不思議な事だけれど、その将来に物凄く引き込まれた。
というか、そもそもその時ののんさんの輝きが尋常じゃなかった。散りばめられた星空の中で、何かめちゃくちゃ輝いてる一等星のようだった。
「この人は将来、僕の人生に多大な影響を与える人になるな」とすら思った。
そんな事を考えていたら、バスが到着する。
僕も、彼女も同じ17歳だ。これからどんな人生を歩んでいくのか誰にも分からない。2人とも素晴らしい何者かになれるかもしれない。
彼女を応援する事で、自分も前進していこう。
そんな事を思っていたら、乗り込んだバスの扉が閉まり、積もった雪を踏みしめながらもそもそと前進した。
1年後、僕は高校を卒業する事となった。頑張った甲斐あって、無事に大学に進学することになった。
買い換えたスマホの画面に映されたネットニュースには、知った顔があった。
のんさんがカルピスウォーターのCMキャラクターに選ばれたのだ。驚愕し、膝から崩れ落ちた。
正直、1年前に見たネットニュースでは、苗字の珍しい全く知らない女優志望の女の子ぐらいの感じだった。
しかし、誰もが知っているカルピスウォーターのCMキャラクターに選ばれた。並の努力じゃ到底無理だろう。
「彼女も頑張ってるんだな」
不思議と自分にも活力が湧いてきた。
その更に1年後、のんさんは朝の連続テレビ小説"あまちゃん"の主演に選ばれる事になる。
ここまで来るともう凄いとか言うレベルじゃない。何なら僕が大学に入って、ダラダラと表面張力の実験とかをしている時に、彼女は凄まじい成長を遂げていた。
オーディションを勝ち抜いて主役に選ばれるというのは、運も多少あるかもしれないが、何より彼女の努力の賜物だろう。
自分も頑張らなければ、とまた強く思えた。
あまちゃんは毎朝ちゃんと見た初めての朝ドラだったけど、衝撃的な作品だった、
正直自分の推しが主役をやっているだけでもう最高なのだけれど、田舎出身の自分から見ても不自然でないと思える田舎の解像度の高さ、内容の濃さ、ギャグの面白さ、もはやこの作品自体が自分のどストライクだった。
ほぼ毎朝のように元気を貰ったし、あまちゃんによってのんさん自身も一気に国民的な女優となった。
僕は、雪の降りしきるバス停で彼女を見つけた時の自分を思い出す。自分の吐く息だけが温かかったあの時から、僕はとんでもない人を応援し始めてしまった。
彼女の快進撃を見てそう思った。
そして僕は大学を卒業し、会社員となった。
自分は、まあ何と言うか、特に何者にもならなかった。全然普通のサラリーマンになった。
それにしてもやはり社会というのは厳しい。小学生から始まって16年間学生をやっていた自分も、社会に打ちのめされる事になった。
落胆する日々が増えた。
のんさんも当時、露出が極端に少なくなった。色んなニュースが飛び交っていたし、色々あったのだろう。
休みの日は何にもやる気が起きず、布団から起き上がれない。
そんな日々でも、時々雪の降るバス停を思い出す。
あの時僕は17歳で、自分はきっと素晴らしい何者かになると思っていた。
しかし現実はそうはいかなかった。
未来に様々な希望を抱きつつ前に進んでいたあの時の自分の影が、時間が経つにつれて凄く長く、遠くなっていた。
もうこんな時間か、でも起き上がれないな。
スマホに映るネットニュースにも、のんさんの名前を見ることは無くなっていた。
どういう巡り合わせなのか、それとも奇跡か、僕が就職した年の誕生日にのんさん主演の"この世界の片隅に。"が公開された。
2016年11月12日、僕の23歳の誕生日だ。
もちろん見に行った。新潟は公開されている映画館が少なく、少し遠くの映画館に行った。
そもそも、のんさんが何かを演じるという事がとても久しぶりの作品だった。
映画が始まると、すず役ののんさんの声が室内に響き渡る。
「おぉ……!のんさんだ……!!」
のんさんが演じている声を聞くのは久々で、何だかとてつもなく感動した。
しかし、それよりも凄いことがある。
映画が進むにつれ、最初は「のんさん」だと思っていた声が、途中から「すずさん」になっていた。
どういう事かと言うと、その役の声に当てはまり過ぎて、もはや"のんさんの声"じゃなく役である"すずさんの声"としてその声を認識していた。
僕らは太平洋戦争の時代に生まれていないけれど、まるでのんさんの演技はその時代を生きている人であるかのような、そんな迫力があった。
映画は大ヒットし、一年以上上映された映画館もあった。
僕は以前に見た"あまちゃん"の中でも、印象的なシーンがある。
記憶の中のシーンなので曖昧だが、あまちゃん内でトップ女優である鈴鹿ひろ美(薬師丸ひろ子)が、アイドルであり女優志望の付き人である天野アキ(のん)に語りかけるシーンがあった。
「今、日本で天野アキをやらせたら、あんたの右に出る女優はいません。だから、続けなさい。向いてないけど続けるって言うのも才能よ。」
"天野アキ"とは、のんさんが演じた役だ。
これはドラマのシーンなので、天野アキ自身を演じられるのは天野アキという女優以外ない、ということになる。
このドラマはアドリブも多く、だからこれがアドリブであったかどうかは僕にも分からない。
でも何だか、天野アキを演じられるのはのんさん以外にいないな、とも思えるのだ。
すずさんの声がいつの間にかのんさんからすずさんになっていたように、彼女はいつも全力で役に憑依している、そんな印象がある。
「こんな輝いてる人、多分いつまでもほっとかれないよな」
と、僕は今でも信じて疑わない。
推しとは一体なんだろうか。
職場の後輩は「自分の推したい人」と言っていた。おすすめしたい人という事だ。
俳優でも、アイドルでも、2次元でも、インターネットの人でも、身近な人でも何でも良い。
その人を応援したり、好きでいたり、ライブに行ったり、配信を見たり、作品を見たり、実際に関わったり、何でも良い。
自分が素晴らしいと思う人の輝きを見て、「良かったねえ」と心から思うことで、その感動は自分の活力に変わっていく。
誰かを推す活動は、きっと自分のパワーになる。
12年前に雪の降るバス停で僕が推し始めた人は、今も映画、音楽、芸術、広告、YouTubeと、創作あーちすととしての活動に大忙しなご様子だ。
その動向をチェックする度、人前でへこたれず、悩みも全く言わず、頑張り続ける彼女に非常に勇気を貰っている。
僕も今、まあ仕事で必要だからだけど、とある免許を取るためにずっと頑張っている最中だ。
そんな頑張っている僕の姿を見て、ボンクラな僕のことも後輩は「推し」と言ってくれたのかな、と思う。
「推されたからには、僕も頑張らないとなあ」
ずっと見続けた輝きを追うようにして、僕だって今からでも何者かになってやろう。
足元から伸びた影が、前よりほんの少しだけ小さく近くに見えた気がした。
何とどんな偶然か、現在毎朝"あまちゃん"がBSで絶賛再放送中!
https://www.nhk.jp/g/blog/gc-134hcyfq1/
1週目の一挙放送は、今週の日曜(4/9)からあるのでまだ間に合うぞ!というか2週目からでもあらすじあるから全然間に合う!
ぜひとも見ておくれ〜〜〜!!