笹団子の降る夜

読んだ漫画の感想を、自分勝手に書きます。

20年振りに会った幼馴染

まるでここにいた時の記憶を失っているかのようだった。

 

新潟は物凄い湿気と暑さで、まるでミストサウナの様で苦しかったけれど、こっちは湿気もなく結構過ごしやすい。僕は両親と一緒に青森に来ていた。25歳の夏である。


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普段から周りにも、Twitterでも、「新潟生まれ、新潟育ちです!」感を出している僕だけれど、実を言うと親父の転勤で、生まれた病院もそうだし、5歳になるまでは青森にいたのだった。

 

ねぶた祭を見に来て!」と当時の青森で出来た友達から誘われた両親が、久々に行ってみるか!と旅行の計画を立てた。両親も、僕も、ねぶた祭を見るのは久々である。

 

"記憶を失っているかのようだった"とは、母親の「この公園で子どもの頃遊んだんだよ〜」という言葉への感想になる。何と、青森に来たのは20年振りの事だ。5歳以来になるから記憶も局所的にしかない。

 

僕が生まれたのは、当時の親父の勤め先である青森の、職場のすぐ近くの病院だった。

 

その時、生まれた瞬間に、僕は運命的な出会いをしていたのである。

 

 

 

 

僕より数時間早く生まれ、先に病院のベッドに寝ていた子が、5歳までずっと一緒にいることになるりっちゃん(仮名)だった。女の子で、もちろん誕生日も一緒だ。これから先、りっちゃんとは姉弟のように日常を過ごすことになる。

 

これは、母親同士が先に仲良くなった為だった。うちの母親は佐渡ヶ島の出身で、何でまたこんな青森に・・・!?と興味を引かれたらしい。佐渡ヶ島はまあまあ人口の多い島で、新潟市にいれば佐渡ヶ島出身者なんてよく見るのだけれど、青森では流石に珍しかった。

 

そして、何より同じ日に同じ病院で産まれた為である。

 

これから先幼稚園でも、ずっと一緒に遊ぶ友達になった。どちらかの母親に、僕やりっちゃんが預けられる事もしょっちゅうあったみたいだ。急に親戚みたいな間柄である。

 

りっちゃんは元気な子だった。僕はどちらかと言うと静かであったらしい。ずっと引っ張られていたみたいだし、それも何となく覚えている。

 

りっちゃんには2個下の妹がいた。めいちゃんと言った。その子の記憶もある。5歳でお別れするまでその子とも家族のように一緒にいた。

 

自分は両親がどちらも日中働いていたので、りっちゃんの家に預けられる事がほとんどだった。りっちゃんの家はお寺だった。だから青森と言うと「寺で遊んでいた」というのがかなり印象深い。

 

元気な姉妹だったので、付いてくだけで寂しくなく、楽しかった。

 

 

 

もう1人、同じ病院出身だが同じ日には産まれておらず、ただ親同士が仲良くなって行動を一緒にしてた子がいる。そいつはリュウ(仮名)と言った。男の子だった。

 

りっちゃんの父親と、リュウの父親は同級生でそもそも仲が良かった。詳しく聞いてないけど、多分その関係から一緒に遊ぶようになったのだろう。

 

別にいじめをされた訳でもなく、普通に良い奴だった。ただ、りっちゃんめいちゃんの記憶に比べて、リュウの記憶はかなり薄い。「ねぶた祭の最中に食うもんがキュウリしか無く、仕方なく一緒に食いまくっていた」という、印象的なのはその記憶ぐらいだろうか。一緒に遊んでいたという記憶だけはある。

 

さっき青森の記憶が局所的にしか無いと言ったけれど、僕が覚えているのはまさに、りっちゃんとその家族、リュウとその家族、一応アスパム、そして、ねぶた祭の熱気、それらが交じりあった断片的な思い出だった。

 

断片的な青森の思い出の中でも、強烈に覚えている事が一つだけある。

 

りっちゃん、そしてめいちゃんとお別れする時だ。

 

りっちゃんと2人で、近くの小学校のブランコで写真を撮った。それが最後の一緒の写真だった。

 

 

 

 

別れの時が来る。

 

僕が車に乗ろうとするのを見て、りっちゃんもめいちゃんも泣き出した。

 

僕はお別れとは思っていなかったのか泣かなかったが、2人を見ていると泣きそうになってしまう。

 

「ばいばい」と言っても、2人は両腕を力なく垂らした状態で、口を大きく開けて泣いたままだ。

 

車に乗り込んで、後ろを振り返る。

 

2人は泣きながらだが、ようやく手を振り始めた。車が発進する。2人とも走って車を追いかけながら、泣きながら手を振り始めた。僕は車の窓を開けて、後ろに向かって手を振りながら叫んだ。  

 

「ばっ・・・!!ばいばーーーーい!!!!!!」

 

叫んだ僕も、涙がぶわっと溢れて震え声になってしまった。

 

この後、僕らは20年もの間、一度も会わなくなるとは思っていなかった。

 

 

 

 

青森に来たのは20年振りだ。今回、僕はねぶた祭を久しぶりに見に来たのである。

 

青森の人曰く、青森はお盆というよりねぶた祭に合わせて県外の人が帰省してくるそうだ。今りっちゃんは県外で働いているらしいが、僕はそのねぶた祭を見に来たのだから・・・?

 

なんと25歳にして、実に20年振りの再会ということになる。

 

 

青森駅前の道路は既に活気に満ち溢れていた。ねぶた祭の跳人(はねと)と呼ばれる人達は、両肩から腰にかけてカラフルな紐を巻いていて非常に可愛らしい。

 

非日常感のある跳人の格好で、ママチャリを爆漕ぎする高校生らしい子達。非日常感の中に垣間見えた日常が何だか素敵だった。


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夕焼けが細くなる毎に町の活気はどんどん高くなっていく。

 

正直、道路とかを歩いていても「青森ってこんなに栄えてた・・・?」という驚きばかりで、記憶が全然無かった。

 

「あっ!!」

 

突然、何かここ知ってるぞ!という景色が目の前に現れた。りっちゃんの親戚の家である。

 

りっちゃんの親戚の家は、ねぶたが通る道路の脇にちょうど良く建っている為、当時から知り合いの溜まり場になっていた。

 

母親の話だと、自分たちもここに呼ばれて一緒にねぶたを見たそうだ。もちろんりっちゃんやめいちゃんやリュウもいた。

 

ゼルダの伝説ブレスオブザワイルドで、リンクがウツシエの記憶を思い出した時みたいだった。

 

自分の中には「ここがどこだか分からないのに、ここに来た事がある」という感覚が確かにあった。今まで経験した事が無い感覚だ。

 

既に、ここでねぶたを見る為の知り合いが寄りあっていた。勿論殆どが知らない人だ。

 

え?てかここがりっちゃんの親戚の家ってことは・・・?まさか・・・!!

 

 

ザッ

 

 

風が吹いた。玄関から若い女性が現れる。僕はひと目見ただけで確信した。

 

何だか今初めて会ったようなのに、懐かしい感じがする。外見は全く知らない人なのに、知ってる人のような感じがする。ずっと会っていなかったのに、ずっと友達だったような感じがする。

 

そうだ、間違いなく・・・この子が・・・! 

 

病院で一緒に生まれて、姉弟のように一緒に過ごして、号泣しながら手を振ってお別れした、あの━━

 

 

女性「どちら様です??」

僕「あ、笹なんですけど・・・」

女性「笹・・・?」

 

 

アレ・・・?

 

 

母親「りっちゃんとママは来た?」

女性「あぁ、まだ来てないですよ。もうちょいで来ると思うので待っててくださいね!」

 

 

 

・・・普通にここの家の子だった・・・。

 

おかしいと思ったんだ。よくよく考えたらまだ若いっていうか、JCかJKくらいの見た目の子だった。条件が重なり過ぎてバイアスがかかっていた。自分のウツシエの記憶は改竄されていたらしい。

 

両親は普通に知り合いがいたようで、色んな人と久しぶり〜!というような様子で話していた。

 

両親が笹だよと僕を紹介すると「えぇ!?あの笹ちゃんかあ?おっきくなったな〜・・・!」と言われた。当然、僕は誰なのか分からない。記憶喪失にあったようである。

 

更に、リュウの両親と弟達もしれっといた。リュウの両親も僕に驚いていた。「おっきくなったねぇ・・・」と感慨深そうだった。ここまで来ると申し訳なくなってくる。

 

リュウは今高崎にいてさあ、全然青森には来なくなったの」

 

どうやら風来坊過ぎて、ねぶた祭の時期ですら帰ってこないらしい。何となく自由人な覚えがあったので、あんまり記憶に無いくせに「あいつらしいな」とか思った。

 

 

 

 

何人かとそんなやり取りをしていると、女性3人組が親戚の家に到着した。

 

そのお母さんみたいな人が、こちらを指さして「あー!!」というようなリアクションをしている。

 

その隣にいる女性も、「あっ!!」みたいな顔をしてこちらを指さしていた。

 

いや・・・?もしかして指さしてんの後ろか?とさっきの件で完全に疑心暗鬼になっていた僕は後ろを振り向いた。誰もいる様子が無い。

 

前を向き直すと、もう僕の目の前に女性が立っていた。

 

右手を差し出してきた。

 

「久しぶりだね!!まさか忘れたわけじゃないよな?」

 

忘れるわけが無い。こんなにも元気過ぎるくらい元気な女の子と、生まれた時から5年も一緒にいたんだ。

 

右手で相手の右手を掴み、夕日に照らされた幼馴染の顔を見てこう言った。

 

「ちょっと忘れてた」

 

おい!と笑われながら、軽く小突かれた。

 

りっちゃんと20年振りに再会した。

 

 

 

3人組のもう2人は、普通にりっちゃんの母と、めいちゃんだった。

 

りっちゃんは僕より全然身長低いくらいだったけど、めいちゃんは僕くらいの身長だった。姉妹でこんなにスタイル違くなる事ってあるのか。

 

「あんまり覚えてないですけど、大好きだったと聞いてますよ」

 

どういう顔をしていいか分からず、ハハッ・・・と夢のネズミみたいな感じで笑って誤魔化した。大好きだったと聞いてますよって何・・・?モテ期は人生で3回来ると言うけど、もしかして僕の記憶が無いうちに3回来たんだろうか。最悪過ぎる。

 

りっ母「大きくなったねぇ笹ちゃん!」

 

この人の事はよく覚えている。りっちゃんのお母さんだ。うちの母親も大概元気だが、さらに輪をかけて元気でお節介な人だったと記憶している。うちの両親と僕がこうして青森に来れたのも、この人からの誘いだった。 

 

僕「お久しぶりです!僕なんかもう、皆ほとんど初めましてみたいになっちゃって・・・申し訳ないです」

 

そう言うと、りっちゃんのお母さんは首を横に振っていた。

 

りっ母「笹ちゃんはいつまでも皆にとっては笹ちゃんだもの、全然いいのよ」

 

20年振りに来た土地で、こんなに優しい言葉をかけられるとは思わなかった。未だ眩しい夕焼けに照らされたこの場所が、第二の故郷であると猛烈に感じられた。

 

 

 

急に完全に僕の話になるが、この日僕は半袖で来ていた。真夏なので当たり前であるが、青森の夕方は結構寒かった。

 

両親から冷えるぜ?と言われていたのに、夏やしへーきへーき笑 と思って来たら、りっちゃんと再会した時点で吹く風に割とブルっとしていた。

 

り「寒くね?笑」

俺「寒い・・・」

り「無印あるよ」

俺「長袖シャツだけでも買って来た方が良いな、本当に寒い」

り「じゃ一緒に行こうよ」

俺「まじ!?良いよ長袖買ってくるだけだよ」

り「うるせェ!!!!行こう!!!!!!」

 

一応言っておくけれど、20年振りに会った人達の会話である。

 

チョッパーを仲間に引入れる時のルフィみたいな事を言われているが、ほとんど初めましてなぐらいなのに、いつの間にかずっと前からの友達みたいな会話になっていたのを覚えている。

 

無印良品は本当にすぐ近くにあった。

 

何でも良いやと思って買った白い長袖シャツを、「もう着ます、寒いので」と言ってその場で装備したら、中国の拳法家みたいな格好になり、りっちゃんが爆笑していた。

 

「ダセ〜笑」

 

その笑顔を見ていると、もし、僕が青森で20年過ごしていたら・・・僕らは今どうなっていたんだろうと、無かった20年に思いを馳せてしまう。

 

 

 

その帰り道、近所の男の子(?)と出くわした。

 

子「りつ〜!おんぶしてくれ〜〜!」

り「自分で歩け!!」

子「よいしょっと!けっぱれけっぱれ〜」

り「うるせぇよ!!!」

 

そう言い返しながらも、りっちゃんはおんぶをしてあげていた。

 

り「けっぱれってさあ、多分青森の方言だよね?」

僕「え!?そうなのか」

り「だって、大学は東京だったけど、けっぱれなんて言葉聞いた事ないよ」

僕「確かに僕も普段聞かないけど・・・アレ何で意味は知ってんだろ・・・?」

 

調べてみると"けっぱれ"は、津軽弁である事に間違いは無い。ただ使用されている範囲は北海道や岩手など、非常に広く青森の津軽弁に限った話では無かった。

 

僕が何故この言葉の意味を知っていたのか、本当に分からなかった。りっちゃんには「古(いにしえ)の記憶じゃね?笑」とか言われた。

 

 

 

そんな会話をしていると、小学校の前を通った。

 

り「私が通ってた小学校だよ。笹ちゃんもここに通う予定だったはず。」

 

そうだったのかあ、なんて返事しながら眺めていたが、グラウンドにポツンとあるブランコが見え、その瞬間、脳に電流が走った。

 

思い出した・・・!僕はここに来たことがある。

 

いや、正確に言うとここに来たことは覚えていない。"ここで撮った写真"を見た記憶があるのだ。間違いなくあの別れ際の写真に写っていたブランコだった。

 

僕「なあ、ちょっと写真撮らないか?あのブランコで」

り「何で!?」

僕「いや・・・あそこのブランコで2人並んで撮った写真を見た記憶が確実にあってさ」

り「へ〜、そうなん」

子「僕の小学校だよ!ここ」

 

そんな男の子の言葉を申し訳ないけど少しスルー気味に、思い切って提案した。

 

僕「・・・20年振りの写真、撮りたくないか?」

り「・・・!」

 

明らかに表情がパッと咲いたのがわかる。久しぶりに会って以来、本当に素直でノリの良い人だとずっと感じている。

 

こうして、2人で並んで写真を撮った。写真はおんぶされてた男の子に撮ってもらった。

 

20年振りに撮った2人の写真は、お別れする前に撮った20年前のブランコでの写真より、ずっと明るい表情でのブランコの写真だった。

 

 

 

 

りっちゃんの親戚の家に戻ると、何か既に大勢の人がいて、完全に出来上がっていた。

 

思い出話をする僕、りっちゃん、リュウの両親達や、めいちゃんと男友達(?)、リュウの弟達、そしてその親戚の家の子達がわちゃわちゃとしていた。

 

めいちゃんは一緒にいた男友達に「20年振りに会った幼馴染だよ」と紹介し、男友達はたいそう驚いていた。

 

20年振りに会った幼馴染か・・・そんな紹介のされ方ってあるんだろうか。普通なら意味が分からないのに、意味が分かって面白かった。

 

家の前でBBQをしていたので、りっちゃんも知らない人と話し始めてしまい、暇だった僕は、子ども達と話しつつ肉を焼きながら時間になるまで待った。

 

肉を焼いていると、「おぉ!?笹ちゃんかあ!」とおばあさんに声を掛けられた。

 

り「あ、お婆ちゃんだ」

婆「おっきくなったねぇ」

僕「あ・・・こんにちは・・・」

 

かなり申し訳ない話だが・・・僕はこのお婆ちゃんの記憶は全然無かった。でもりっちゃん曰く、「雨で外で遊べない時家で一緒に遊んでくれた」 らしい。

 

僕「僕、ここにいたのは20年前ですし・・・というかよく僕だって分かりましたね。」

 

そう言うと、お婆ちゃんは微笑みながらこう言った。

 

婆「大きくなっても、笹ちゃんは笹ちゃんさぁ」

 

隣でりっちゃんもうんうんと頷いていた。

 

青森の夕暮れは肌寒くて長袖を着たほどだったけれど、心は凄くあたたかくなった。

 

 

 

夕陽はやがて暮れ空が淡く緑色になり、とうとう、ねぶたの祭囃子がかすかに聴こえてきた。

 



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ねぶたの祭囃子は、でっかい太鼓、横笛、手振り鉦と呼ばれる小さいシンバルの様なもので音が形成される。

 

身体をも震わせる大きな太鼓の音と、波のように上下する高い横笛の音、その2つとリズムを併せて手振り鉦が打たれ、この祭囃子によりねぶた祭の力強さと迫力が一層際立つものとなる。

 

僕はこの祭囃子がとても懐かしかった。曖昧な記憶なんかじゃなく、ねぶた祭の記憶はしっかりとある。

 

というか、ねぶた祭は一度その場所に訪れて見てみると、絶対いつまでも忘れられないものになる。僕は20年振りに生でねぶた祭を見て、改めて日本一のお祭りだと思った。

 

いよいよ"ねぶた"が目の前に現れた。感じたのはとにかく「でけえ」そして「綺麗」という事だ。

 

ねぶたは毎年「ねぶた職人」と呼ばれる人が魂を込めて作成している。最初の頃のねぶたは竹を曲げて型を作っていたが、現在はより細かく型を変えられる針金式だ。その型に和紙を貼り、色付けを行っている。

 

全長は何と約4m。そりゃでかい訳だ。首が痛くなるほど見上げた先には力強く夜気を掻くねぶたの姿がある。

 

実際に目にするねぶたのでかさはそれはもう尋常ではない。自分の目に映る全てはねぶたに埋め尽くされる。ねぶたの雄々しく、そして猛々しいその姿、またその色鮮やかさに思わず見惚れてしまう。



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写真を撮ってみる。充分綺麗ではあるが、はっきり言って目の前を通るねぶたは1000倍はでかくて綺麗な印象だった。

 

いつの間にか、ねぶたを見る僕の隣にりっちゃんが来ている。

 

横顔を見ていると、いつの間にか周辺にいた子ども達と一緒に「回してー!!」と大きな声を上げた。

 

 


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・・・!?

 

ねぶたが、回った。

 

そんな手練の技があったのかよ!!と驚愕の表情を浮かべていると、りっちゃんは得意気な笑みだけ浮かべ、どっか行った。ねぶた祭界の剛の者である。

 

ねぶたと囃子と参加する"跳人(はねと)"の人達による、ねぶた祭の熱気は夏の夜気を掻き続けた。

 

 

 

次の日の朝、僕と両親は新潟に帰る前にりっちゃんの家に寄った。

 

りっちゃんはあの後、友達と飲むためにどっか行ったまま、帰ってきて二日酔いで寝ている状態らしかった。破天荒過ぎる。

 

正直、めいちゃんと言い皆が皆、最後らへんは僕のことは結構放ったらかしで、僕はただただ両親ズ&お婆ちゃんとねぶた祭を楽しんでいた。

 

おーい!笹ちゃん達帰るって!とお母さんが言うと、りっちゃんが現れた。

 

り「じゃあね」

 

限界そうだったので、もういいって!寝てな!と声を掛けた。

 

りっちゃん母にお世話になりました、ありがとうございました、と言うと、また来てねぇと言ってくれた。

 

り「来年も絶対来いよ・・・!」

 

恐らく振り絞りながら、そんな声を背中に掛けてきた。

 

僕「あいよ!!来年も絶対来る!!」

 

今度のお別れは、一応互いに笑顔だった。また会えるような気しかしなかったから。

 

 

 

 

一年後・・・

 

 

 

僕は、青森には行っていなかった。

 

何で!?と思われたかもしれないが、そう思いたいのはこっちである。仕事の都合で異動し、この時は新潟県長岡市に住んでいたのだった。

 

ねぶた祭の日程と被るようにして、長岡市では長岡まつり大花火大会が毎年開催される。これも茨城の土浦全国花火競技大会、秋田の大曲の花火と並ぶ、日本三大花火のひとつであり、非常に大きな花火大会だ。

 

この日の長岡市は人でごった返し、あまりの過密具合にスマホの電波が停波した(マジ)。


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この年も、復興と感謝のシンボルである"復興祈願花火フェニックス"が打ち上がる。長岡花火の大目玉だ。これを僕は休憩時間に、職場から眺めた。長岡に来る大量の観客の案内に駆り出されたのである。

 

それ故に、青森のねぶた祭に行くことは出来なかった。青森には両親と妹だけが行った。

 

長岡花火も本当にめちゃくちゃ良いんだけど・・・約束した手前、今年も青森に行きたい気持ちは凄くあった。働きたくないし。

 

スマホに着信が入り、また仕事の連絡かなと思って画面を見て、驚いた。りっちゃんからのLINE通話だった。

 

僕「はい」

り「何で来ないの!?」

 

余りにも想像通りの第一声だった。

 

僕「こっちでも長岡花火っていうでけぇお祭りがあるんだよ。今長岡に住んでるから駆り出されてさ。」

り「花火!?見たいんだけど!!!」

僕「そっちでも見れるだろ!ねぶた祭の最後の日に」

り「まあね。でも来なかったのめっちゃ残念だよ〜特別ゲストも来たのに。」

 

特別ゲスト?僕の両親とでも通話を繋げるつもりだろうか。

 

??「久しぶりだな!」

 

威勢の良い男の声だが・・・?ちょっと心当たりのない声だ。アレ?もしかして。

 

僕「リュウ!?リュウじゃないか!」

リ「へぇ・・・よく分かったなぁ」

僕「久しぶりな奴なんてお前しかいないよ」

リ「笹ちゃんが来るって言うから来たのに、来てねーじゃねーか!」

僕「それ去年だよ!風来坊すぎんだよ」

 

そう言って笑い合った。21年振りの会話とは思えないくらいに自然だった。あんまり互いに記憶が無いのにも関わらずである。

 

りっちゃんも交えて、(多分向こうはスピーカー状態で)少し雑談をした。リュウはもう働くのに向いてないと分かったからニートになろうとしているらしかった。風来坊が過ぎる。

 

一応リュウにも「キュウリ食いまくったの覚えてる?」と聞いてみたが、意味が分からないんだけどと言われた。

 

リュウが誰かに呼ばれてどこかへ行った後、りっちゃんとまた2人の会話になった。

 

り「あのさ、聞いてるかもしれないんだけど・・・」

僕「うん」

 

僕はこの後に続く言葉が分かった。恐らくあの事だろうな、と想像出来た。

 

それは僕にとっても、凄く嬉しい事であった。

 

 

 

り「私、来月に結婚することになったよ」

 

 

 

タイミングを合わせたように、川の向こうで大きな花火が一発上がった。

 

 

 

 

僕が青森に住んでいたのは、5歳の頃までだ。

 

自分にとって印象に残っていたあの悲しいお別れも、りっちゃんに聞いてみるとりっちゃんは覚えていなかった。そのぐらいの記憶なのだ。

 

それでも、僕とりっちゃんは普通に、ずっと前から友達だったかのように会話をした。りっちゃんだけじゃなく、めいちゃんも、りっちゃんのお母さんもお婆ちゃんも、電話越しのリュウも、5歳の時以来、20年振りに会話したとは思えないほど自然に話すことが出来た。

 

何でこんなに普通な感じで話せるんだ?当然疑問に思ったけれど、多分りっちゃんのお婆ちゃんが言っていた言葉が一番当てはまる。

 

 

「大きくなっても、笹ちゃんは笹ちゃんさぁ」

 

 

そう、大きくなっても、20年経っても僕は僕であり続ける。同様に、大きくなってもりっちゃんはりっちゃんだし、めいちゃんはめいちゃんだし、リュウリュウのままだ。

 

この関係性は、何年経っても家族であるかのように消えてなくなりはしなかった。場合によってはこういう縁が足枷になる場合もあるかもしれないが、自分にとってはこれ以上無い良い縁のように思えた。

 

遠い土地に、僕が僕であることを受け入れて、大切に思ってくれている第二の故郷を感じる事が出来たからだ。

 

きっと、青森だけに限らず、これまでもこれからも、色んな一期一会があって、その度僕を他の誰でもない僕として受け入れてくれる、心の拠り所が多く出来る事だろう。

 

本当に大切な縁ならば、時間の経過を不安に思わずとも、20年経ってもその縁が切れてしまう事は無い。僕はそんな風に思っている。

 

 

 

 

僕「結婚おめでとう」

 

驚かなかった僕は電話越しに、どんな顔をしているか分からないりっちゃんにそう声を掛けた。

 

り「あ、やっぱり聞いてたんだ?」

僕「聞いてたわ〜。だから"長岡花火タオルハンカチ"をお土産に親に持たせたんだよ。」

り「あぁ!アレってそういう事だったんだ。」

僕「御祝儀じゃなくてすまんがな。」

 

別に僕は、りっちゃんに恋心を抱いていた訳では無い。

 

しかし、病院で生まれた時から、5歳までだったとしても、姉弟のように過ごした思い出をとても大切に感じている。そして、大切な存在だと感じている。

 

だからもう既に親づてに聞いていたのに、もう聞いたんじゃないかと知りながら、結婚の報告を直接してくれたのがとても嬉しかった。何だか向こうも、僕のことを大切に思ってくれてる様に感じたから。

 

そして同じ場所、同じ時に生まれた人が、今度は家庭を持つ事になるなんて、これ以上無いくらい感慨深い出来事だった。

 

僕「来年こそは行くよ、旦那さんにもリュウにも会わせてくれよ」

り「私じゃ約束できないけど了解!絶対来いよ!!」

 

 

ちなみに裏話として、ここで出た"来年"とは去年の事であり、去年も今年も、青森ねぶた祭、長岡花火のどちらも中止となってしまった。一刻も早くコロナ禍が収束し、あの祭の活気、夜空を照らす花火が復活する事を祈るばかりだ。

 

 

 

電話を切った後、「おいこっちで上がるぞ!」と近くにいた職場のおっさんが騒いでいた。

 

長岡花火は、長岡駅から見て川の方向に花火が上がるようになっているが、最後だけ川よりも駅側、長岡市の住宅街側で一発だけ花火が上がる。

 

長岡市の人は、こぞって「長岡の人間はこれが一番好きなんだ」と照れたように笑う。ていうか、長岡市の地元の人って自らを"長岡の人間"と称しがちなのは何なんだろう。新潟市の人間との区別のつもりなのか。

 

 

一筋の花火がスっ・・・と夜空に線を引き、僕がいる真上で大きく光の花が開いた。

 

僕は、僕の横でねぶたに向かって「回してー!」と叫んでいた、何だか大人びて綺麗になった幼馴染の姿を思い出していた。


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僕「けっぱれよ、りっちゃん・・・」

 

僕の声は囁くような声だったのに、花火の轟音と歓声の中でもよく響いた気がした。あの夏の夜気を掻くねぶた祭の中にも届きますように。花火を見てそう願った。

 


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