笹団子の降る夜

読んだ漫画の感想を、自分勝手に書きます。

ありがとう、ツイッターランド。

電車の窓の外の景色を見ていると、公園のブランコで泣いている小さな女の子の姿が見えた。

 

自分の中にある既に過ぎていった記憶たち、それと重なる景色を見つけると、ハッとしてつい目で追ってしまう。

 

「・・・ん?どうした?」

 

座っている席の隣から職場の同期が言う。入社式の時点で既に仲良くなり、今は休日にも一緒に山に登ったりする友達でもある。今日は出張で、一緒に同じ列車に揺られている。公園のブランコで泣いていた女の子は、既にひとつの景色として窓の外に通り過ぎて行った。

 

「いや、何でもないよ」

 

そう僕が答えると、その表情を見ただけで同期は察してくる。

 

「ずっと思ってたけど・・・やっぱ何か悩んでる事でもあるんじゃないか?お前」

「いや・・・」

 

ここで「悩みが無い」と言うのは一番無難な答えだが、嘘になってしまう。同期であり友達でもある彼には本当の事を話したかった。

 

実を言えば、最近、というかここの所ずっと、僕は情緒不安定だった。周りにいる人に悩みを相談する事で、心配をかけたくないと思ってしまっていた僕は、その全てをTwitterにぶち撒けていた。

 

TLには顔も知らない人達のツイートがひしめいている。しかし、Twitterのフォロワーだって人間だ。自分のツイートなど誰も見ていないという錯覚に陥った僕は言いたい放題ツイートし、その様子を不快に思っている人は確実に多くいた。その事に突然気づいてしまったのだ。

 

「実はTwitterの事で悩んでいて・・・」

Twitterの事で!?」

 

同期は大層驚いていた。それもそうで、彼はリアルの友達しかフォロワーにいないようなTwitterの使い方をしている人だ。知らない人はブロックしている。その使い方も何も間違いはないだろう。何ならもう飽きたらしく、Twitterはやっていないようだった。

 

Twitterで何か、友達とトラブったりしたのかよ」

「まあ友達だな、顔は知らないけど・・・」

「顔知らない友達!?」

 

同期は大層驚いていた。さっきの事と言い、正直ごもっともではある。顔も知らない友達だなんて、何とも不気味な関係性だ。

 

 

Twitterを始めたのは、実はおよそ10年前のことだ。

 

高校を卒業した僕は、初めてTwitterに触れた。2chの匿名性に慣れていた僕は、匿名でもあったりするけれど、特定の個人としての要素もあるTwitterにワクワクした。

 

ここからは、これまで僕がTwitterをやっていて、衝撃を受けた事を5つほど紹介しようと思う。本当はもっと沢山あるけど、特にTwitterで印象に残っているのはこの5つだ。

 

 

 

1. ネタクラスタ

僕がTwitterを始めた頃には、既に"Twitterで面白いツイートばかりする人達"が存在していた。

 

本当に顔も何も知らない人達で、毎日毎日面白いツイートをし続け、多くのフォロワーを獲得していた。ツイート自体もよく拡散されていた。

 

Twitterの140字内でこうやって面白いツイートを主にし、有名になる人達は"ネタクラスタ"とか呼ばれていた。彼らは時に真剣に、時に適当に、自由気ままにツイートをしていた。

 

先程の僕の同期とは異なる、知らない人もフォロワーにいるような、"そういうTwitterの使い方"を始めるキッカケが彼らであった。自分などはネタクラスタまがいぐらいのツイートしかしてなかったけれど、結果的にこれが色々な人との出会いを生むこととなった。

 

あとたまに誤解されているけど、僕がネタクラスタまがいの事をし始めたのは相当後で、いわゆるTwitterで昔っから有名な人達からすれば、ささっこは相当遅く出てきたアカウントになる。

 

僕がそういうTwitterの使い方をし始めた時には、既にfavstarは存在していたし、「ふぁぼったーの赤ふぁぼツイート」とかは僕はよく知らなかった。


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とは言え、僕が始めた頃はまだこのTwitterアイコンだったし、始めたばっかの人は卵アイコンだし、アイコン自体も正方形だった。

 

・・・まあ、そんな何年も昔の細かい事、今となっちゃ同じくらいの時期で良いわと思うかもしれないですね。僕も思います。

 

 

 

2. 「ゆりかごはもうありません」

これは少しセンシティブな内容だけど、本当に驚いた事なので紹介させて欲しい。

 

「ゆりかごはもうありません」はFFの曲の歌詞らしいけど、僕も詳しい事はよく知らない。とある個人のツイートである。

 

実は、これは当人による"最期のツイート"でもあった。

 

僕がいつものようにツイツイとTwitterをやっていると、TLにいる何人かが急に喪に服し始めた。誰か有名な人でも亡くなったのかと思ったが、そういったニュースは一切無い。

 

調べてみると、どうやらTLにいる何人かの、そのフォロワーである人が、自殺をされたとのことだった。僕は知らない人だった。

 

その方の最後であり、最期のツイートが「ゆりかごはもうありません」だった。今でも知ってる人は知っている、記憶に残るツイートだ。

 

その方は、特に自殺をほのめかすようなツイートをしていた事は無かった。だからこそ皆驚いたし、悲しんだ。「ゆりかごはもうありません」も、とても意味深なツイートに感じられ、そのインパクトは凄まじいものだった。

 

僕にとっては全く知らない人、アカウントを知っているフォロワーも顔は知らないような人の死に、TLでは多くの人がその死を悲しみ、喪に服した。

 

初めて、Twitterの文字の向こう側にいる人が亡くなった瞬間であり、その文字の向こう側には人がいるという事を、自分に強烈に感じさせた出来事だった。

 

 

 

3. めざまし三宅アナ似の全裸中年男性

TLに、突如としてめざまし三宅アナ似の中年男性の写真ツイートが見られるようになった。

 

「誰なの?笑」と思いながら見ていたが、これにも驚かされた。その写真の人物は、普通に相互のフォロワーだったのだ。しかも何なら同世代くらいの人だろうな〜と勝手に思っていた人だった。  

 

その人は、「さよなら絶望先生」の風浦可符香のアイコンでTwitterをやっていた。

 


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言うまでも無いが、上がTwitterのアイコン、下はそのフォロワーに激似のめざまし三宅アナである。

 

それもそれでかなり衝撃を受けたんだけれど、まあアカウントの中の人の顔までは確かに知らなかったし、どちらかと言うと僕は顔面ドアップのその流出写真自体に驚かされた。

 

別に、顔の知らない向こう側にいる人がおっさんである事なんて、全然構わないことであった。結構意味不明だったのが、顔面ドアップなのも別にいいんだけど・・・何かどう見ても服を着ていない様子なのである。

 

DMで女性を装った(本当に女性だった可能性もある)フォロワーに騙されて、服をちゃんと脱いだ自撮りを送り返したらしい。どういう騙され方なんだろう。

 

しかも、何ならちゃんと全裸で、全身が写っていて、股間を手で隠している自撮りまで普通にTLに流れてきた。本当にどういう事なんだろう。どんな騙され方をしたらこんな事に・・・人質でも取られてるのか・・・?と衝撃を受けた。

 

Twitterのアイコン、そのアカウントの奥には、どんな人がいるのか本当に分からないな・・・いや自分もそうなんだけど・・・と気付かされた出来事だった。

 

それ以来、僕はまともにめざまし三宅アナを見る事が出来ず、ZIP派になってしまった。

 

 

4. 音声入力でTwitterを開こうとした武藤敬司


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僕がTwitterをしていて、一番笑ったツイートです。

 

 

5. アイドル声優を目指す女子高生

「今は声優・タレントの養成スクールに通ってるよ!」

彼女はTwitterでそんな事を言っていた。

まあ彼女っていうか、その奥にいるのは全裸のおっさんである可能性もめっちゃ高い訳だけど、一応そこは設定を受け入れて"彼女"とする。

 

彼女はまだ17歳だった。女子高生で、アイドル声優を目指して努力をしている、まるで漫画やアニメの中の人のようだった。さすがに釣りのように感じられたし、全裸のおっさんも勿論脳裏をよぎったのだけれど、そこは設定を受け入れた。

 

何故そんなにも、アイドル声優を目指す17歳をそうであると信じたのか。それは僕とのTwitterのやり取りにあった。

 

「いつか私も有名になって、ささっこさんを能年ちゃんに会わせてあげるね!」

 


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能年ちゃん、今はのんちゃんであるが、僕とは同い年でほぼデビュー当時からずっと憧れている女優さんだ。そんな女優さんと引き合わせてくれると言うのだ。

 

普通に考えてそんな事って有り得ないんだけど、何だかその無鉄砲な夢と約束に、このTwitterの奥には本当にアイドル声優を目指す17歳の少女がいる気がした。胸が物凄くパチパチとした瞬間だった。

 

彼女はもう、2014年の特になんでもないツイートを最後に姿を消している。アカウントだけが、大きな夢の跡のように無造作に投げ捨てられたままだ。

 

この時彼女が語っていた夢が、本当に叶っているのかどうか、僕には分からない。今はもう24歳であるはずで、現実的に考えたら夢破れて普通に働いて暮らしてるだろうし、だけど、もしかしたら僕が今遊んでいるウマ娘の声優なんかになっているのかもしれない。 

 

顔も知らない彼女がツイートをしなくなり、僕のことなんて忘れてしまっていても、僕は彼女の無鉄砲な約束をいつまでも覚えている。Twitterは時にそんな無根拠な、大きな夢と希望を与えてくれた。

 

 

 

 

 

今はTwitterの使い方を自分で間違って、自分で嫌になってしまい、ツイートするのをしばらくやめてしまっている。

 

差し込む夕陽が眩しいが、スマホTwitterの公式アプリを開いてみる。


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何時間も前のTLが映し出された。今日も今日とてフォローしている人達が、馴れ合ったり、自分の事をツイートしたり、リプライでやり取りしたりしている。

 

Twitterを今までやって来て出来た思い出は、上記にある5つだけではもちろん無い。

 

皆で4時になったらツイートした。

皆でうわあぁああぁぁあぁと言いながら椅子から転げ落ちた。

皆でSkypeのグループを繋いでさぎょいぷをした

皆でフォロワーのツイキャス配信にコメントした。

皆で通話しながらマリカーとかスマブラをした。

 

また、自分がツイートする事で出会った、顔も知らない人達との思い出は星を数えるほどに果てしない。僕のTLには本当に色んな人が居て、居なくなって、また新しくフォローして、帰ってきて・・・を繰り返して今のTLになった。本当に色んな人と知り合う事が出来た。

 

アイコンを描いてくれた人がいた。

ずっと妹を欲しがっている人がいた。

いつもピザを焼いている人がいた。

ユニバの年パスを買って日々ユニバを散歩する人がいた。

西日本から青森まで車で行っちゃう人がいた。

パンセクシャルでプロのカメラマンになった人がいた。

朝になると「おはわっぎゅー!」と挨拶する人がいた。

YouTubeの配信を通して一緒のゲームで交流した人がいた。

リクエストしたらギターを弾きながらaikoの"17の月"を歌ってくれた人がいた。

自分の車がよく文鎮になっちゃう人がいた。

まだ若いのにいきなり双子が生まれた人がいた。

一緒に宮島に行ってくれた人がいた。

僕のイマジナリー姉になってくれる人がいた。

ゲームを通して8年ぶりに通話した人がいた。

いつも愛救ってる(アイス食ってる)人がいた。

スマブラがプロ級にうまい人がいた。

知らない面白い漫画を紹介してくれる人がいた。

三限氏の読みが"みつかぎりのうじ"だった人がいた。

パチンコ屋で監視カメラにむけて空の財布を開いて見せた人がいた。

歳は離れてても僕らと交流してくれる人がいた。

「絶対幸せになってね」と言ってくれた人がいた。

実際に会った後「今どき珍しい純粋な子だった」と言ってくれた人がいた。

「好きな人の幅が狭いんだよね」というその幅の中に僕を入れてくれた人がいた。

 

そして、「ささっこ、帰ってこい。」とツイートしてくれる人がいた。

 

色んなフォロワーのツイートが、自分の胸を何度も何度も打った。そこには確かに、文字だけだったとしても、人が発する温度があった。あたたかさがあった。恵まれた出会いがあった。

 

僕はこのあたたかさをしばらく感じなくなってしまい、大切にしていなかったように思う。そんな自分に気づいて本当に嫌になっていた。

 

例えば、メール等で苦情が送られてきた時、文面では大層お怒りで罵詈雑言の嵐であるが、実際謝罪に赴いてみるとそんなに怒っていなかった、というのはよくある話であるらしい。実際に目の前に人間が現れると、人は急にあたたかさを思い出すのかもしれない。

 

僕は、今一度Twitterの文字の奥に、人がちゃんといる事を思い出した。リアルの友達が見てても恥ずかしくないような言動をこれから心がけて、嫌いな自分を変えて、ちょっとずつ自分を好きにならなければ、と思った。

 

その奥にいるのが、全裸のおっさんでも、今にも自殺しそうな人でも、アイドル志望の女子高生でも、それが本当か分からなくても、僕は人として彼らに向き合い、また楽しい思い出を作っていきたい。

 

「ありがとう、ツイッターランド。」

 

僕はそうつぶやいて、Twitter公式アプリを閉じた。

 

 

 

 

帰り道の列車の窓の外では、茜色の夕陽に照らされた鉄塔の下で、黄金の稲穂が辺り一面輝いていた。その中の舗装された道を、一組の男女が歩いている。凛とした綺麗な女性の方に、思わず目を奪われてしまう。

 

あの二人は、友達同士だろうか、恋人同士だろうか、それとも、先輩と後輩だったりするのだろうか。季節はもうすっかり秋だ。もう風鈴の音もすっかり聞こえなくなってしまった。

 

「何たそがれてんだよ」

 

隣の席にいた同期が、僕を茶化すように笑っていた。こいつも僕にとって、僕のほとんどを知っている大切な友達だ。彼に「顔を知らない友達も、結構良いもんだよ」と伝えたかったが、やめておいた。

 

そういえば、公園のブランコで泣いていたあの女の子。あの子にも友達はいるのだろうか。

 

優しい友達がいるといいんだけど。