実家の近所には池のある公園があり、その池を囲う木々は申し分ないほど秋色に色づいていた。
「今年は人がいねぇな」
横にいた親父がそう言った。季節はもう秋、というか気温的にはもう冬で、パーカー1枚では心許ないのか、赤いセーターを来ている。紅葉より映えてんじゃねーか?ってほど濃い色の赤いセーターだ。
この日は、うちの爺ちゃんの誕生日だった。11月は、なんと婆ちゃんも、親父も、僕も11月が誕生日だ。
爺ちゃんは、今から25年前、60歳という若さでこの世を去った。僕はまだ3歳で、爺ちゃんの記憶はひとつだけしかなく、ほとんど無いに等しい。覚えているはずもないのである。
実家は花農家でもあるので、意外にも爺ちゃんは生け花がとても上手だった。遺影では紋付袴で硬派な見た目をしているけれど、花が好きだったらしい。
今は婆ちゃんが花を作っており、今年も菊を作っていた。秋に咲く色とりどりの菊は今年も実家の庭を彩っていた。
爺ちゃんが生きてきた60年は、周りの人に聞く限り、とんでもなく濃い人生だったように思う。僕は隣にいる親父にその話を聞きながら、自分の爺ちゃんの人生を振り返ってみることにした。
爺ちゃんは、1936年の産まれだった。第二次世界大戦が始まる前であり、大ヒットしたあの鬼滅の刃の大正時代から、10年ほど後のことであった。
物心がついた頃、タイミングを合わせたように戦争が始まった。うちは農家だというのに国にお米を回収され、食べるものは全然無かったらしい。病気になっても医者に行けないほど貧乏で、病気になったら寝て、治るよう祈るしか無かったそうだ。
病院があって、医者がちゃんと診てくれる世の中ならば救われた命なのだろう。
戦争の最中、爺ちゃんの実の姉は病気でこの世を去った。まだ小五、10歳にもなろうという若さだ。
姉との死別後、今度は戦争に行ったお父さん(つまりひい爺ちゃん)がもう帰って来ないのかもと不安になり塞ぎ込んだらしい。
「何があっても必ず生きて帰ってくる」
と言っていたひい爺ちゃん(つまり爺ちゃんの父)は、戦争が終わると、ちゃんと帰ってきた。しかし右目を失っていた。
右目を失ったひい爺ちゃんの目については、僕も見た事があるけれど、眼球でない何かが打ち込まれたような見た目だった。普段はそれをタモリさんみたいに、サングラスで隠すようにしていた。ただ、まだ子どもだった爺ちゃんは、既に死別したと思われた家族が帰ってきた事は堪らなく嬉しかったようだ。
ひい爺ちゃんが帰ってくるまでに、少しずつ爺ちゃんの心の扉を開けてくれた人がもう1人いた。同じ集落に住む幼馴染の同い年の女の子だった。セッちゃんと言った(らしい)。
同じ集落で、同い年で、頭が良く、とても気が合ったそうだ。
ひい婆ちゃん(爺ちゃんの母)は、変な宗教にガチでハマっていて全くアテにならなかったので、そんな中で、姉ではないが頼りになる女の子がいつもそばにいてくれたのはとても有難いことだった。
小学校から、中学校、高校に上がるまでずっと一緒にいた。そんなに長く付き合いが続いたの!?とびっくりしたが、自分にもそんな幼馴染が高校までいたし、そんなに珍しい話でも無かった。
セッちゃんは頭脳明晰で、学校の成績もトップクラスだった。ところがなんと、爺ちゃんも成績はトップクラスだった。
これもまた爺ちゃんの遺影の姿からは想像も出来ないが、一緒に合唱部に入っていたらしい。
爺ちゃんは、お付き合いもしていない頃から、高校を卒業したらセッちゃんと結婚しようと思っていた。
「高校を卒業したら、俺は家が農家だから農業をやる事になるだろう。セッちゃんはどうするの?」
「何にも決めてない。私もうちの手伝いかな〜。」
「じゃあ・・・俺のお嫁さんになってくれないか?」
「いいよ」
本当にそのぐらいの会話でプロポーズが完了したらしい。
別にお付き合いしてた訳でもないが、お付き合いしてたようなもんだった。
ずっと一緒にいたのだから、これからもずっと一緒にいられる。
何度も助けられたし、自分も何度か助けた事があったのではないか・・・と思う。
勉強も、合唱部も、切磋琢磨して互いを高め合った。一緒になるならこの人以外に無い!そう思った。
早速両親に報告した。
「俺、高校卒業したらセッちゃんと結婚するよ」
と言った。ひい爺ちゃんは微妙な顔をしていたが、ひい婆ちゃんは完全に反対だった。そこで衝撃の事実を聞かされた。
「あの子は、私と同じ家の人間なんだ。あんたの婆ちゃん(ひいひい婆ちゃん)もそう。これ以上血が濃くなると、どんな子が産まれるか分からない。」
当時同じ集落内で、もはや親戚なんじゃないかってぐらい近親の人と結婚するのは、珍しいことでは無かった。
しかしその互いの血が濃くなると、何らかの障害を持った子が生まれるとされていた。
当時は耳が聞こえなかったり、声が出せない人が集落内で生まれたそうだ。
実際今では、いとことの間に生まれた子は障害を持って生まれる可能性が高いことが証明されていたりなど、あながち間違った話でも無いらしい。
そんな理由もあり、爺ちゃんはセッちゃんと結婚せず、いきなり連れてこられた知らない人と結婚した。セッちゃんと会うことは、生きているうちには、結局一度も無かった。
まあ・・・その連れてこられた知らない人ってのはうちの存命する婆ちゃんなんだけれど。
でもこの辺りのエピソードは、婆ちゃんが全部教えてくれた。婆ちゃんもそれを知っていて結婚したのだから、何だか可哀想な気もしてくる。
結婚してからしばらくして、子どもが生まれた。つまり僕の親父である。23歳で出来た子だった。
色々あったが家庭を持って、農家も継いで、自分の弟や集落内の仲間達と過不足なく暮らし、子を育てた。色んな人との別れがあったが、これはこれで幸せなもんだと受け入れて、戦争していた頃とは違う、家族との平和な毎日を過ごした。
だいぶ時をしばらくして、高校生になった僕の親父はこんな事を言い始めた。
「大学に行きたい。」
当時、家族からは猛反対を受けた。
農家なのにどうするんだ?田んぼや畑は?家族会議を開いて、コテンパンにし、夢を諦めさせた。爺ちゃんはその間、ずっと静観していた。
親父は悔しかった。
農家に産まれ、自分の将来が決まりきっている事が。
実際には高校だって、偏差値が県内でもトップクラスに高い私立高校を滑り止めに、近くの県立高校を受験した。かなりの謎受験ムーブだった。
わざと県立高校の試験に落ちようとしたが、落ちれなかったようだ。そんな事ってあっていいのか。
後日、爺ちゃんに呼び出された。
まあ座れ、と爺ちゃんは言う。農家の広い客間で二人っきりだ。きっとあの時の事について、ちゃんと説得をしに来たに違いない、と親父は思った。
時計の振り子がカチッ カチッと揺れる音が響いている。それほどの静かな夜だった。
「お前、本気で大学に行きたいのか」
爺ちゃんは言った。親父は頷いた。
「そうか」
爺ちゃんは、何やら感慨深そうな顔をして天井を見上げている。意を決するような顔で親父に向き直った爺ちゃんは、親父にこう言った。
「俺が生きてきた時代はな、国が言えば戦争に行き、親に言われて家を継いだ、そんな時代だった。自分だけのものであるはずの自分の人生が、国や誰かに決められていたんだ。」
親父が見ていた普段の爺ちゃんは、明朗快活で、カラカラとよく笑う明るい人物であった。今まで書いた過去の事も、当時は何も知らなかった。
「俺だって、やりたいことは沢山あった。でも俺にはこの家を守る責任があった。」
完全に説得に来ている・・・。親父はもう諦めるしかないのかと思った。だが、話はまだ終わっていなかった。
「ただな、俺はこれから先もこういう時代が続いていくとは思わない。自分だけの人生を、自分でやりたい事を決めて、それぞれが生き方を自由に選択する・・・きっとそんな時代になっていく。
お前に、本気でやりたいことがあるのなら、俺はそれを応援したい。これからの時代は、家族とか周りの目とか関係ねえよ。お前がやりたいように、自分の人生を生きていく、その背中を押すのが親の役目だと俺は思う。」
爺ちゃんはそう言うと、戸棚から何かを取り出し、客間のテーブルに雑にドサッと置いた。
500万円の現金の束だったという。
「これで大学に行け」
冬のひんやりとした空気の中に、爺ちゃんの言葉が響いた。
その後、親父はいわゆる底辺高校から、G-MARCH辺りの大学に合格した。その学校史上唯一であるらしい。
ただ、学費は全然足りなかったので、結局爺ちゃんに後で追加でねだりに行った。
「爺ちゃんってそんな過去があったのか・・・まあ僕、あんま記憶無いんだけど」
紅葉をぼんやり見ている僕に、親父は爺ちゃんの話をしてくれた。
「俺も(爺ちゃんが)死ぬまで知らんかったいや」
親父は、農家を継がずいわゆるサラリーマンになった。農家になっていたなら、ずっとこの家にいて、僕や妹が転勤した先の青森で生まれるなんてイベントも無かっただろうし、色んな事が違っていたはずだ。
爺ちゃんが、親父に与えた道の分岐の影響はあまりにも大きい。それは僕にとってもだ。
「お前、爺ちゃん死んだ時に夢に出てきたって言ってたよな?」
「あぁ・・・そうそう、それは僕も覚えてるよ。それだけは何か、すごく覚えてる。」
先程も話したけれど、爺ちゃんは60歳の若さで亡くなった。当時親父は37歳、僕は3歳で、ひい爺ちゃんもまだ生きていた。
爺ちゃんと最後に会ったのは、親父も僕も、僕の母親の弟の結婚式だった。
既に体調が悪そうな様子で、そんな無理しなくても・・・と周りが言う中、押して出て、首都圏までやって来た。
式場の下りのエレベーターに、爺ちゃんと、親父と、僕の3人だけが乗った。
僕はまだ小さかったので、親父と手を繋いで、何かを話している2人のことを見上げることしか出来なかった。
途中で扉が開き、じゃあな!と僕の頭を撫でた爺ちゃんだけが、扉の外に出て行った。親父と僕だけがエレベーターに残され、更に下の階に向かった。
これが、親父も僕も、意識のある爺ちゃんを見た最後の姿だった。
僕は夢を見ていた。
夢には、結婚式場のエレベーターと同じ、親父と僕と、爺ちゃんがいた。
今度は、親父も爺ちゃんも喋っていなかった。
エレベーターの扉が開く。爺ちゃんは今度はじゃあな!とも言わず、僕の頭を撫でもせず、光り輝く扉の向こう側に進んで行った。
扉が閉まり、眩しい光が無くなると、元のエレベーターの光景に戻った。
親父を見上げると、無表情のまま、閉じた扉の向こう側があるかのように、前をじっと見つめていた。
朝、目か覚めた僕の第一声、「夢におじいちゃんが出てきた」に、母親は大層驚いたらしい。
この日、あともう少しで日が昇るかという頃、爺ちゃんは亡くなっていた。脳出血だった。
意識不明で病院に運ばれたが、間に合わなかったようだ。
爺ちゃんの通夜・葬式には、いつの間にこんな人望を築いたの?というくらい、特に通夜の日なんかは農家で割と広い実家の前にまでも行列が出来てしまっていて、家族側が戸惑ってしまったらしい。
何とその葬式にはセッちゃんも姿を表したらしい。うちの婆ちゃんとは完全によそよそしく、特に何を言うわけでも無く帰って行ったらしい。
60歳という若さで亡くなった爺ちゃんを見て、宣言通り戦争から生きて帰ってきた存命のひい爺ちゃんや、結婚をやめさせたひい婆ちゃん、結婚をやめさせられたセッちゃん、何も知らずに結婚した婆ちゃんと、自由な生き方を与えてもらった恩返しがまだ出来ていなかった親父。
それぞれが、一体どう思っていたんだろう。僕は今でもその過去に思いを馳せてしまうのである。
「マジで年々いつの間にか紅葉見てるわ、桜なんて昨日見たみたいだぜ」
「さすがにそれはないが・・・」
自虐する親父は、最初にも言った通り「こっちが紅葉ですか?」と思ってしまうほどに濃い赤い色のセーターを着ている。
この赤いセーターは、実は僕からの誕生日プレゼントだ。赤いちゃんちゃんこを模したつもりだった。親父は今年の誕生日で60歳で、ついに爺ちゃんが亡くなった時の歳と肩を並べる事になる。
まだまだ人生折り返し地点、これからも長生きしてくれよという、願いを込めたプレゼントだ。
「お前、結婚したいとか思ってるの?」
「いやぁ〜・・・どうすかねぇ、家庭を持ちたいとは思うけど」
「ははは、真面目過ぎるからなお前は!まあ子ども好きだもんな、子どもはいいぞ。」
「焦らなすぎて自分が怖いが」
親父は紅葉の中を歩きながら、僕に言葉をかける。
「俺は多分、お前が居なかったらここまでちゃんと生きられなかった。お前が生まれた瞬間から、俺はお前と一緒に成長出来たんだよ。だから子どもはいいぞ。」
その言葉は、物理的にではない寒さを感じていた僕の心にまで暖かい風を吹き込んでくれたような気がした。まあ、ていうかぶっちゃけ・・・子どもの頃って殆ど婆ちゃんか母親と一緒にいた気がするけど・・・。
もし、僕にも子どもが出来たら、子どもと一緒に成長すればいいんだなって思うことが出来た。親父、たまにはいい事言うじゃねーか。風呂場でダンスして足滑らして強化ガラスをぶち破ったりした癖に。
爺ちゃんは・・・多分、うまくいかない人生だった。
国が言えば戦争に行く時代に生まれ、親に言われて家を継ぎ、結婚したかった人と結婚させない為に、知らない人といきなり結婚させられた。
でもその人生の中にも、きっと幸せを見出していた。そしてその人生は当時は当たり前のものだった。
爺ちゃんの本当に凄いところは、自分の生きてきた道に縛られず、自分の子である親父が生きている世代と時代に考えを合わせ、将来の選択肢を広げた所にあると思う。
年長者になると、自分の生きてきた道を元にアドバイスしがちだ。しかしひと回り下の歳の人達でさえ、自分とは全く異なる道を通って今を生きている。
僕の10年前、高校生の頃は、TwitterもLINEもYouTuberも無かった。今の子達はそれらがある高校生活を生きている。自分の高校時代の経験を元にしたアドバイスなど、恐らく"老害"なんて言われてしまうだろう。
説教臭くなってしまうかもしれないけれど、きっと、若い人たちの"当たり前"に寄り添う事が年長者の務めでは無いかと僕は思う。
爺ちゃんが僕の親父に農家を継がせず大学に進ませたように、もしかしたらこれから同性婚や選択的夫婦別姓が当たり前になってくるかもしれない世代に、道を拓いてあげる事が長く生きる者の務めのような気がしている。
"先に生まれし者は後に生まれし者を導き、後に生まれし者は先に生まれし者を弔う"という、古き良き言葉の通りだ。
某ワンピースで某チョッパーの恩師のDr.ヒルルクが、チョッパーに「人が本当に死ぬのは、人に忘れられた時だ」という言葉を遺すシーンがあった(あった気がする)。
某ワンピースの某Dr.ヒルルク
誰しもに忘れられた瞬間、その人はこの世から本当にいなくなってしまうのだ。
今、この文章を通して、ささっこの爺ちゃんってそんな生き方をした人なんだ〜と、知っていてくれるかもしれない人が増えたはずだ。とても不思議な気持ちになる。
僕の爺ちゃんの生き方を覚えてくれている人が、もしかしたらインターネットの奥の遠い場所にもいるかもしれないと思うと、僕としてはこんなに嬉しいことはない。僕の爺ちゃんは亡くなったけれど、この世ではまだまだ長生きしそうだ。
「爺ちゃん、僕らは今とても自由に生きることが出来ていますよ」
真っ赤に染まった公園のもみじの木の下で、秋空にそう告げると、夕日に向かって申し合わせたように菊が舞った。