「いや〜どうしたもんかな…」
スマホの画面を指でちょこちょことスクロールさせながら、友人の入沢君が言った。
互いに不規則なシフト制の仕事をしている中、たまたま仕事終わりの時間が被り、一緒に行ったサウナで無事に整った所だった。今は大広間の休憩スペースで、時間も何も気にすることなくだらりとしている。
外は梅雨の始まりを告げるかのように、雨が強く降ったり止んだりを繰り返している様子だった。
「どした?何か調べてるみたいだけど」
そう尋ねると、入沢君はやはりスマホの画面に目を落としたまま、さり気ない様子で話し始めた。
「マッチングアプリを始めたんだ」
「ほう、マッチングアプリを?」
「流石に家庭を持って落ち着きたくてさ、必死なんだよ」
「そうか〜頑張れよ」
「いやお前は!?」
「え?」
めちゃくちゃ他人事のように聞いていたけど、よくよく考えたら僕も別に結婚してるわけでも恋人がいるわけでもない…。まあしょうがないっしょとか思って、焦らず、かと言って何もしていない状態だ。
「マッチングアプリとか街コンとか、そういうので頑張って彼女を作って、ちゃんと結婚しようとしてるの、凄く偉いと思う」
「どれも男側だけ金かかるのが癪だがな」
「まあまあ、でもそれだけ将来を見てるってことじゃん。」
「ありがとよ、で結局お前はどうなんよ。」
「僕はまあ…そうだなぁ。そこまでの熱意が無いというかね。結婚自体に憧れるとかも無いもんな。出来るなら家庭を持って落ち着けたらいいけどって感じだ。」
もちろん、甘い考えだって事も分かる。でも本当にそこまで頑張る気力も無いのだ。見た目も悪く、女性にモテる自信が無いような人間ともなると、大抵そんなもんじゃないかと思う。
「怖くないのか…?1人で死んだりとか」
「うーん…怖くないな」
外ではまた音を立てて土砂降りの雨が降り始めた。
「結局1人だろうが周りに家族がいようが、死ぬのって怖いし」
そうか〜と入沢君は、相も変わらずスマホの画面とにらめっこしながら言う。半分聞いていないような感じだが、まあ別にいいだろう。
大粒の雨が地面を打ち付ける音だけが、大広間の中に流れていた。
ポキポキ♪
翌日、休みだというのに出かけもせず家でぐーたらしていると、LINEの通知が来た。
『笹くん…?』
本当に僕の連絡先かどうか、確認するような文言だった。そのLINEの送り主を見る。
「えっ…?」
驚いて、思わず声が出た。僕が大学の頃のバイト先で、僕が好きだった女先輩とデキ婚したあの男先輩だった。懐かしい。あんな事があったけど、まあ勝手に好きになっていただけだし、幸せならOKです!の精神で、結局男先輩とは普通にその後も仲は良かったのだ。
その時のエピソードは以下の通り。
https://sasadangokko.hatenablog.com/entry/2021/10/28/191607
(これに習って、男先輩を上海さん、女先輩を宮城さんとする)
ていうかそもそもLINEは交換していたから、別に確認しなくても俺なんだけど。
『上海さん!お久しぶりじゃないですか〜〜!元気でしたか?』
『まあな、ぼちぼちやっているよ』
『皆さん、変わらず元気にしていますか?』
それはもちろん、宮城さんや、生まれたお子さんのことも含めてだ。皆が元気でやっていれば本当に嬉しい。
長文を打っているのか、返事が遅かった。別に気にすることもなく漫画を読みながら待つ。
ポキポキ♪
LINEの通知音がしたが、漫画がいい所だったので一応認知しときながら、片手間にスマホの画面を見る。ちょろっと見えた通知欄に「ん!?」と驚いて、思わず漫画をぶん投げてスマホの画面に見入ってしまった。
『いや、今はもう分からん。離婚したからな俺。』
背後でバサッ!と漫画の落ちた音が聞こえた。
上海さんは離婚していた。
つまりはそういうことである。宮城さんといつの間にか離婚していたのだ。
『あらあ』
本当はめちゃくちゃ驚いたけれど、驚いた反応を期待されてそうで嫌だなと思い、逆張りであんまり驚いてない感じを見せた。ちょっとダサい。
『まあ、色々ありますよね』
『そうだ、色々あったんだ』
『あんまり反りが合わなかったんですか?』
『いや、単純に俺が(アンジャッシュの)渡部になっただけだ』
『あらあ〜』
本当はめちゃくちゃ驚いたけれど、驚いた反応を期待されてそうで嫌だなと思い、逆張りであんまり驚いてない感じを見せた。正直、もう展開が斜め上過ぎて、僕はと言うと完全に頭を抱えていた。
アンジャッシュの渡部さんということは、要するにそういう事だ。上海さんは、多目的では無いかもしれないけれど、いわゆる不倫に至ったのだ。その結果、家庭は崩壊した。
上海さんは「完全に俺が悪い。」と言っていた。ちなみにその不倫相手と再婚したらしい。
その後のやり取りは近況報告ぐらいだったが、正直言ってショックでよく覚えていない。
『笹くんは渡部でなく、ウィル・スミスになれよ』
なんて言っていたが、正直今ウィル・スミスになって、ようわからん冗談を言っている上海さんを殴りたい気分だった。
もはや今から8年前のことだ。
宮城さんを夢中になるくらい好きだった僕は、その結婚&妊娠の発表があった後、バイト中だというのに頭が真っ白になった。
上海さんは僕の恋心を知って、応援するよと言ってくれていたり、宮城さんも宮城さんでめちゃくちゃ思わせぶりだったり、色んな事が重なった結果だった。
でも、それもこれも僕が勝手に好きになっただけなんだと割り切って、2人に向けて「結婚おめでとうございます!」と言い、頭を垂れた。
涙が落ちそうになった。
平気なつもりだった。それなのに何だか得体の知れない涙が落ちそうになった。
悔しいのか、嬉しいのか、訳の分からないまま涙が溢れそうになる。それを見られまいと、下げたままの頭を上げないままで、2人の前からスライドアウトした。
その後には、生まれてきた赤ちゃんの写真がしばらく送られてきていて、その幸せそうな様子から、「あぁ、この2人が夫婦になって本当によかったな」と思ったものだった。
今になって、不倫して、離婚して、その幸せをぶち壊した上海さんからの連絡を見て、僕の気持ちはあの頃に戻っていく。今の自分にならはっきりとわかる。
あの時僕は、悔しかったのだ。悔し涙を流しそうになっていた。
本当に最近まで、勝手に好きだから〜なんて言っていた。でもそれは本心から出た強がりでしか無く、本当は振り向いて欲しかったのだ。
そんな強がりを見せながら、どの面下げてかは分からないが、僕も偉そうに「勝手に好きになっただけと思おうよ〜アイドルを好きになるのと同じでさ」なんて後輩とかに言っていた。
好きになった人には好きでいて欲しい。そう思うのが人間だ。
身なりを整えたり、相手を気遣ったり、振り向いてもらおうと躍起になったりする。
それは僕も同じだった。
あの時僕は本気で宮城さんが好きで、本気で悔しかった。
今この離婚報告を聞いても、宮城さんがどうしているかは僕も分からないし、今から自分がどうこうしようなんて当然思わないけれど、幸せであれと本気で願った分、やるせなくて、やりきれなくて、でもそれらも全部自分の勝手な想いで、やっぱりめちゃくちゃ悔しかった。
『今度飲もうよ!』
僕はそんな上海さんからの誘いを有耶無耶に返しながら、昨日から振り続ける雨の音に心を委ね、気持ちを落ち着けようとしていた。
「......」
「......」
以前と全く同じ大広間で、全く同じいい歳した男2人が、本当ににらめっこしているのかという具合に向かい合ってスマホを凝視していた。
またもやたまたま仕事終わりの時間が被り、サウナで整った所である。
「あんまりうまくいかんなぁ…」
「マッチングアプリ?」
「あぁ。」
僕が尋ねると、入沢君はやはりスマホに目を落としながらそう続けた。
「会った人皆めちゃくちゃいい人だったんだけど、やっぱ何だろうな、俺は我慢するのが嫌なんだよなぁ。」
「我慢…?」
「ああ、まあ確かに早いとこ落ち着きたいけど、我慢してまで付き合いたくはないだろ。」
「そういうもんか。」
「そういうもんじゃね。」
今日の外は、何だかポカポカ陽気である。そんな日に2人でサウナに来ているなんて完全にやってる事はおじいちゃんだが、僕らは恋人もいないのでそんなことは気にしなかった。
「真面目に考えてるんだな、人と付き合うって事を」
「当たり前だろ〜?生涯のパートナーになるかもしれない女性だぜ。そりゃ真剣よ。」
「浮気とかは?」
「するもんかよ。そんなに器用でもねぇし。」
「そうか、まあ大丈夫だろうな。」
別に浮気を責めるような義理など僕には無いのだが、まあどっちにしろ、入沢君はパートナーを幸せにするような気がする。
「そういうお前はどうなんだよ。何にもなしか?」
「何にもなし!」
僕が元気に応えると、「元気に言うな!」と突っ込まれた。
「まあでも大丈夫だろうな」
入沢君も、僕と同じような言葉で返してきた。
「俺、別にマッチングアプリも街コンもやってないから大丈夫じゃないんじゃね…?」
入沢君は、久々の連載再開ですと言わんばかりに、スマホから顔を上げこちらに目を向けてきた。
「お前は大丈夫だ、心配いらん。お前が幸せになれなかったら嘘だ。」
入沢君とは会社に入ってからの付き合いだが、色んな悩みを相談し合ったし、互いにスマホに目を落としたままでだらりとしていても気にならないぐらいの関係だ。
何だか言葉以上の気持ちが篭っているようなきがして、嬉しかった。
「ありがとう、大丈夫な気がしてきたわ。」
「大事なマインドだぜ。」
この間の悔しさは、そんなに時間が経っていないのにすっかりと消えていた。
幸い、現実でもインターネットでも、縁には恵まれている方だと思う。これからも色んなコミュニティで、臆することなく色んな人に出会って、色んな意味で好きな人を増やしていきたいものだ。
宮城さんは結婚後、会社を辞めた後に再会した時、特に恋人もいない僕にこう言ってきた。
「出会いたくなくても、出会っちゃうもんだよ。」
今、悔しかったり嬉しかったりした、あの時の気持ちにケリをつけるように、やはり宮城さんが幸せであるよう強く願う。
そんなふうに思えるのも、僕が大人になったってことなのかもしれない。
なんとなく僕達は大人になるんだ。